伝統を受け継ぐ~富士市は日本一⁉のだるま市の街~
こんにちは ふじ応援部4期生サヨちゃんです。
今年は中止となってしまいましたが、毘沙門天大祭は「日本三大だるま市」と言われてます。群馬県高崎市の少林山七草大祭のだるま市、東京都調布市の厄除元大師大祭のだるま市、富士市今井の毘沙門天大祭のだるま市。中でも「富士市のだるま市は日本一」と言われているんですよ!!
富士市のだるま市は三番目だと思っていませんでしたか?
この機会に富士市民の皆さんだけではなく、県外の方にも伝統ある富士のだるま市やそれを盛りあげてる企画、富士市とだるまの深い関わりを知っていただきたいと思います。
だるまを知ろう!鈴川だるまとは?
富士・富士宮で作られているだるまを「鈴川だるま」といいます。
今回は、富士市浅間本町にある骨董喫茶健康堂の林直輝さんにだるまの歴史をお聞きしました。林さんは全日本だるま研究会の副会長であり、富士市まちの駅ネットワーク「鈴川だるまプロジェクト」のリーダーでもあります。
骨董喫茶健康堂の店内には、150点程のバラエティ豊かなだるまが並べられていました。林さんはこのほかにも1,000点を超えるだるまを所持しているそうです。
一推しのだるまを聞いたところ「どれもおすすめ」とのこと。だるまひとつひとつに地域の魅力と伝統があり、同じ地域のダルマでも今と昔では違うそうです。
パンダがブームになった時に作られた「パンダだるま」もあり、その時代にタイムスリップしたような感覚になりました。ちなみに、並んでいるだるまの中で一番古いだるまは江戸時代に作られたそうです。
話を聞いて、各地のダルマを集めたくなってしまいました。
さて、今回のお話の中で一番驚いたことは、毘沙門天大祭が始まった頃(江戸時代)は毘沙門天大祭でだるまを売っていなかった!ということです。
その頃は、現在でも見かけるお面や坂田商店のたんきりなどの露店が並んでいたそうです。
では、いつからどのようにだるまを売りはじめたのか。。。
だるまを売り始めたのは、今から130年前の明治25年頃。静岡市の「沢屋だるま店」が創業し、その沢屋でだるま作りの修行をして「杉山ダルマ店」と「小楠ダルマ店」として地元でだるまを生産するようになりました。縁起物であるだるまは多くの人に喜ばれ、次第に広まっていったそうです。
林さんは、「この日本一のだるま市が身近にある伝統のすばらしさを見直し、富士市民である私たちが、もっと誇りを持って盛り上げていきたい!」と笑顔で語ってくださいました。
岳南電車をだるま折り紙でコラージュ
岳南電車のだるま電車を見た事がありますか?
鈴川だるまを広める為のプロジェクトの一つであるだるま電車は、だるま柄にラッピングされた電車で、1日に数回しか走っていません。見れた方はラッキーですよ。
車内には、だるま折り紙がたくさん飾られています。
このだるま折り紙は、市民団体「紙っと!プロジェクト」が中心になって行っていて、岳南鉄道沿線の小学生が参加して作りました。
だるま電車は2月末まで運行しています。是非お友達、ご家族で岳南電車に乗っておでかけしてくださいね。
岳南鉄道吉原駅の待合室には、コラージュされただるま折り紙を作れるコーナーがあります。折り図もあるので、どなたでも作ることができますし、作っただるまに顔を描く事もできます。
子どもって顔を描くのが好きですよね♪
作っただるまは持ち帰ることもできますが、こちらに貼ることもできる楽しい場所となっています。
だるまコンテスト
オリジナルのだるまを作ることができる楽しいコンテストです。
吉原にある松栄堂薬局が開催したのですが、一昨年前より富士商工会議所と富士市まちの駅ネットワークが引き継いだプロジェクトになります。
今回は164点の応募があり、2月10日(水)にコンテストの結果が出ました。色んな部門で入賞されたオリジナルだるまは、どれも素敵で皆さんの富士市愛を感じました。2月末まで吉原の富士市民活動センター・コミュニティfで展示しています。
私自身、富士市に住んで5年が経ちます。
毘沙門天大祭は、だるま市が有名とは聞いていたけれど、なぜ有名なのか?どんな歴史があるのかを知らないまま楽しんでいました。話を聞くと思った以上に深くおもしろいだるまの歴史に触れる事ができました。意識が向くと自然にだるまに目が行き、各地のだるまを集めてみたいと思いました。
みなさんのおもしろいだるまの情報をお待ちしております。
富士市のだるま市についてもっとたくさんの人に深く知ってもらえるよう郷土の素晴らしい文化を大切にしながら発信していきたいと思います。
来年は、日本一の富士山のもと、この毘沙門天大祭だるま市の開催とたくさんの方が訪れる事を願います。