若月佑美さん/Wakatsuki Yumi
乃木坂46、そして新たに 女優としての夢を追いかけて
若月さんにとっての「いただきへの、はじまり」ストーリーを教えてください
私は作品づくりが好きです。お芝居やMusicVideo、写真や絵画など「表現をする」という事が大好きです。小さい頃に舞台を見に行った時に受けた、憧れの感情や、美術の時間に自分が描いた絵に感想をもらった時の届け手として得た喜びの感情などから、自分自身がツールとなって沢山の人の感性を豊かにしたり、視野を広げるきっかけになったりする仕事を将来できたら素敵だなと思っていました。ただ、この想いは年を重ねるにつれ現実を知り、心の隅に小さく置いたままになっていました。それなりに“勉強”をし、それなりに“部活”をし、流れるままにそれなりの“進学”をするのがもしかしたら最良じゃないか、なんて思うようにもなりました。しかし高校2年の春、進路を考えていた時に、どうせそれなりに生きるなら何か大きなチャレンジをしてからでも良いのではないかとふと思い、「今やらないでいつやるのだろうか!」「将来後悔するのだけは嫌だ!」と乃木坂46のオーディションを見つけ、勢いのままに応募しました。今考えれば、この不安定な夢を勝算もなく追ったことは、中々の賭けだったと思います。私だけでなく家族にも関わる事ですし、大きく自分の生きる世界を変えてしまう夢だったので…。正直、アイドルとして活動している今、楽しいとか嬉しいことばかりでなく、辛い事や苦しい事も沢山あります。でも今の私は「あの時チャレンジしてよかった!」「正解だった!」と胸を張って言えます。小さい頃に見つけた自分の中の“唯一”を大切に出来たのかな。夢を追って上京してもう7年目になりますが、小学生の頃に富士市にあるロゼシアターでバレエの発表会をやった事、今でも鮮明に覚えています。大ホールだったかな。わくわくしながら会場に向かい、本番もとても楽しく演じていた気がします。あのころからきっとステージという場所が凄く好きだったのだと思います。さらに、同じロゼシアターでよく開催されていた絵画の展示会も凄く好きで家族で足を運んでいました。あの時のそこで感じた何かが私の心を動かして、表現することの素晴らしさを知りました。今思えば、私の夢につながる色んなきっかけは地元から貰ったものだったのかもしれません。感謝ですね。今は新しい地で貰った『女優』という夢を追っている最中です。
ふるさと富士市についての思いを教えてください
私は最近、お仕事先で静岡県に所縁のある方とご一緒する事が多いです。それはヘアメイクさんやカメラマンさん、制作スタッフさんや編集さんなど…様々なジャンルの方々です。その上、偶然なのか何かが引き合わせているのか、静岡県の中でも富士市出身だったり、富士市に住んでいた事があったり、両親が富士市出身だったりと富士市に何かしら縁がある方が多かったです。上京してからいろいろな地域の方と接する機会が増えましたが、富士市はこんなにも自分の夢を見つけて頑張っている人を沢山輩出している街だったんだなぁと、何だか地元が誇らしくなりました。そんな方々とよく話すのは、富士市ってなんだかんだ“ほっと”する街だということ。正直なところ、大きな遊園地がある訳でもない、銀座のようにブランドのデパートが建ち並んでいるわけでもない、渋谷のように夜遅くまで明るい訳でもないです。でも、夢を追って地元を飛び立って、社会と戦ってる。無意識に空間とも戦ってる。少し休憩したい時もある。そんな時、ほっとしに帰りたくなる優しい街。私はそう思っています。そんな、あったかい街、富士市で育ったみなさんの夢を応援しています。私ももっともっと頑張りますね!
Profile
富士市出身。乃木坂46のメンバー。アイドルとしての活動のみならず、舞台・デザイン・アートの分野でも活躍。「二科展」には、6年連続入選している。